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2013/04/25

Nuts Max






先月のHUGEって、そりゃもーお洒落な雑誌に、ラリークラークの特集が載ってた。





Larry Clark

ラリークラークは写真とか映画を作ってるおっさんで、

今時は、映画なんて映画館で上映するよりも、ネットで上映すればいいんじゃい!って、柔軟な姿勢があると思えば、

芸術性が下がるから、広告写真は絶対にやらねー。と、頑固な面も持っているみたい。







blink-182 - I Miss You







「ハリウッド映画は残念。」だとよく言われてるんだけど、何がそんなにダメなのかって言うと、ハリウッド式の映画作りが完全に分業化されているからだと聞いた事がある。 具体的に言うと、ハリウッドでは監督は現場で撮影の指示をするだけで、編集はカットマンがシーンの長さやカットの順序の決定権を持っており、効果音は音声担当が決める。ヨーロッパ映画やインディーズでは監督が全部やったりするので、当然ハリウッド物では監督の個性は出にくい。つまり誰が監督しても、一般ウケする編集やタイアップの音楽でまとめられるので、とても残念な仕上がりになる事が多い。 更に、ハリウッド映画の製作費ウン億円って金額の約半分は広告宣伝費である。つまり、商売と言う側面がとても大きいのが特徴と言える。 それでも面白いのは面白いんだけどね。






今月のクラッチマガジンには看板屋のNUTSさんの特集。

事務所の壁に「いつの時代でも一番いいものは、全て商業芸術だった」ってメモがあった。

芸術家の人達は必ず「芸術か?仕事か?」の壁にあたるそうである。



当然、商業芸術には、クライアントの要望があって、大衆に理解される事が目的だったりする。

純粋芸術は、自由テーマ、自由媒体を駆使し、それがどーした?だから何?と、自問自答し続ける事なのかな?





Nuts Art Works for Krafty

Nutsさんのデザインのかっこよさも然る事ながら、
Kraftyさんのワザと雑に扱ってヤレ感を出し、
看板の本来的な良さを引き立てている辺りも、ニクいですね!






辺見馨さん(現在はat last&co) * 西浦徹さん


やぱりHUGEで、5~6年くらい前だったと思うけど、テンダーロインってブランドの特集がやってた。

数ページに亘って、1ページ1枚のモノクロのファッション写真が掲載されてたんだけど、

その中の1枚の写真は、モデルの顔にだけピントが当たってて、服は全てボケボケであった。

モデルも有名人では無いから、もー何の広告にもならない感じなんだけど、凄い印象に残ってしまった。


それで何だか、あんな写真を採用するブランドの人にも魅力を感じて、

以来、まんまとテンダーのファンになった。



the tenderloin

高くて全然気軽に買えないんだけどね。







LouisVuitton と キースリチャーズ(ローリングストーンズ)




LouisVuitton と マドンナ






Dolce & Gabbana と やっぱりマドンナ




D&G






gucci




oh! gucci






chanel




not 2chanel






PRADA




or PRADA






FENDI




more FENDI





hermes




do U have some hermes?




I'v no hermes!


もはやプライスタグを見る気にもさせてくれないスーパーブランド。
しかし、さすが。 広告写真もスーパーかっこいいですね。


素人的な立場から言えば、センスの良い人が作れば、良いモノは良いと思う訳です。

なにせ芸術の目的は、つまらない世界を少しでもかっこよく、そして面白くする事が最も大事ですからね。






ラリーのおっさんだって、シュプリームのカレンダーやネイバーフッドのフォトTシャツをやってたしね。







遙かなる走路(1980)  監督:佐藤純彌  脚本:新藤兼人


それで、この間、テレビで何となく観た「遥かなる走路」って映画がまー凄かった。

内容は世界のトヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎さんの自伝的な話で、

もー、また失敗した!とか、コストがどー?とか、会社が潰れそー!だとか、そんな事は関係ねーようで、

研究や発明に対する純粋な考え方や情熱が、とても尋常では無くて感動した。


少しでも好奇心のある人ならば、「人生のうち1度くらいは自分の人生を賭けて勝負したいぜ」

とか、思うと思うんだけど、とてもじゃないけど豊田さんの真似は出来ないな。

敬意を込めて、異常(Nuts)だと思ってしまいましたからね。




トヨタ モデルAA

自動車はただ走れば良いってんじゃなくて、芸術的に美しく。

60年代の日本製バイクは、アメリカ市場が無ければ開発コストが捻出出来なかったと聞いた事がある。

開発途上期の車やバイクは、どれも量産商品の域を遥かに超えた、情熱的な芸術品に見えますね。

素晴らしい。





2013/04/20

Holy Gluttony




ラーメン二郎 桜台駅前店






King Crimson - Happy With What You Have To Be Happy With

少し前に、ラジオでYESのRoundaboutが流れてから、最近はプログレがブームでやんす。
でも、僕はジョジョの奇妙な冒険はそんなに好きじゃないんだぜ。































我が国、日本で最も有名なアホと言えば、アホの坂田こと坂田利夫である。

ところが坂田師匠に 「おいアホ!」 と声をかけると、とても怒られるらしい。

アホの坂田には伝説が数多く存在する。





アホの母親である地神サカエさん著書の 「息子はアホやあらへん」 がある。



1941(昭和16)年、10月、アホの坂田は大阪市で生まれた。

坂田師匠は高校生クイズの常連校である私立灘高校卒であるらしい。

そして、高校時代から60年安保闘争に積極的に参加。


その後、京都大学理学部数学科を首席で卒業。更に大阪大学大学院経済学研究科で博士課程に進む。


卒業時の論文は、マルクス主義的な「開発独裁」が、

開発途上国の資源配分を最適化することを数理経済的に実証するという内容であった。


論文は革新的かつハイレベルな内容であったが、坂田が学生運動に加担し、補導、逮捕暦がある事などから、

坂田は博士号を授与されることなく、学界を追われる事となった。



後、坂田利夫の著書で経済学本である 「アホの坂田のビッグバンってなんでんねん?」 がある。



学の道を閉ざされた坂田は悩んだ挙句、経済学を諦め、「平和的な革命」 を掲げる政治活動へと移行、

その手の運動で、最も有効的な伝達手段であるメディアを利用する為に芸能の世界へと入った。

それは、逮捕暦などのある坂田が、後に政治家になる為の数少ない方法でもあった。

後、西川きよしが国会議員として適切な職務を全うできたのも、ブレーンとして坂田がいた為である。



坂田の芸能活動について、彼の芸風を見れば一目瞭然ではあるが、

ガンジーの非暴力思想に強く影響されている事は間違いなく、

「暴力では何も解決しない」 → 「アホのフリ」 へと表現を発展させている。

後は皆さんもご存知の通り、持ち前の追求精神でアホを極めたまでである。





師匠の著書に 「アホの坂田のアホだらけ」 がある。




芸能界の中でも、特に音楽界では坂田師匠の熱狂的なファンは多く、

浪花のモーツァルト、キダ・タローは坂田へ楽曲を提供する為に、

その他の仕事を全てキャンセルして 「アホの坂田」 の製作に挑んだ。




アホの坂田



ビヨンセが坂田師匠の 「ヨイトセノコラセ♪」 のダンスをリスペクトし、坂田承諾の後、積極的に取り入れ、

自身のMVやライブを通じて世界に発信している事はあまりにも有名である。

























あほ!

あほ!

あほ!

あほ!


アホの坂田!





全部ウソだよ。

ヤレヤレだぜ。




2013/04/16

2-B Bomb











The Strokes - Tap Out

ストロークスはイギリスのバンドかと思ってたら、アメリカのバンドだった。
だからどーって事は無いんだけど、不思議と何だか嬉しいんだよね!


































実は、僕の父親もアホのフリが得意である。


ある時は 「ァアー!ァアー!・・ァアー!」 と、

居間で1人でカラスの鳴き真似をしているし、


ある時は 「シタシタシタシタシタシタシタシタシタ・・」 と、

口走りながら、廊下を忍者気分で通り過ぎてゆく。



僕の父親は、そら豆に似た男である。

遊ぶ金が欲しい少年がそこに居たならば、10中8,9は的にされると思う。

気の弱そうな、小さな男で、勤勉にサラリーマンを勤め上げ、

定年退職した後も毎日、同じ時間に起きて髭を剃り、

酒は飲まず、同じ時間に風呂に入って、同じ時間に寝る。



そんな姿だけを見ていると、ウソの様な話なんだけど、

子供の頃は、ニービー弾と言う、今で言うバクチクと様なモノをカエルの口に突っ込んで破裂させたり、

かわいいスズメを罠で狩って、羽をむしり、料理してみたり、

庭の水溜りで見つけたボウフラを水槽に網を張って保護し、孵化させた蚊をペットとして飼育し、

時々、自分の腕を水槽に入れて血を吸わせていたそうだ。

当時、近所の人々は父親少年を 「お変ちゃん」 と言うあだ名で呼び、彼は人々を憎んでいた。


しかし、残念ながら、そこには映画の様に陰惨な事件は起こらなかったのである。




あれは確か、15年ほど前の事だったと思う。

僕が居るの知らなかったのだろう。

「・・ぇえ?・る、留守番電話にぃ?・・ぁや、ぜーんぜん気が付きませんでしたよ!」

と、父親は居間の壁に向かって何度も同じ事を発していた。

それは、前日、連休なのにかかって来た仕事の電話を無視した父親が、

同僚に謝る練習をしていたのであった。



それを見た僕は、自己の遺伝子の器を悟り、

アホのフリを身に付ける必要を感じた訳なんだよ。


























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