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2014/08/02

I miss You. miss You.





アメリカ人も、日本人も、バカの考えることに、大差はない様で、

僕らはとーとー、みんなで赤いバンダナを巻くようになった。

100円ショップで買った安モンに、マーキーで名前とチーム名が記された。


トモは僕の名前で、チームの名前は 「ロスト・ソールズ」

ドゥルーピーが自信満々で考えてきた。 日本語訳は 「彷徨える魂s」


そぉ、鋭いあなたは、思っただろう、「それ、死んでんじゃん?」








Shareholder Tom - Send My Tears feat. Alison Degbe






だからって、銀行強盗し始めた訳でもないし、





ライバルや、抗争相手のチームがあった訳でもない、





ボーっとしてると、勝手に赤いバンダナを巻かれるのである。





僕達には何の目的も無かったから、ひたすら暇でしょーがなかったんだと思う。

そんな中で、些細な事件が起こった。起こしたのは写真の右端に写っているタイロン。

タイロンは我が家でみんなが寝静まった後、うっかり リッパの財布から金を取った。


すると、よっしーも、「俺はもー、3回も取られてます。」 と告白した。

「しかも、3回目は、起きてる目の前で、ドゥルーに取られました。」


この相談を受けた時、僕は安倍総理の気持ちが何となく分るような気分だった。

対等だと思いながらも、どこかでアメリカと日本の上下関係を当たり前に感じるところがある。


何はともあれ、僕らの 仲良しクラブ は崩壊し始めたんだ。





困った僕は、ドゥルーに話をして、タイロンを説教する事になった。

タイロンも自分がヘマをしたって事が分かっていたので、素直に反省していた。

本来なら、ここで一発くらいパンチするべきだったんだろうけど、

黒人はゴリラみたいで、間近で見ると怖ぇー。

アメリカが銃社会になったのは当然だと思ったな。


結局、金は使ってしまって無いってんで、

ティンバーランドのブーツでリッパに返すって事で手打ちになった。





ここは、我が家の近所にあったスラム・ジャムって名前のクラブ。

ステージにいるのは、最近、復活したらしい 餓鬼レンジャー かっこいい。


ここのクラブは、ライブイベントの時は日本人が沢山来るけど、普段はほぼ黒人しかいないトコだった。

家に帰るのに、どうしてもここの前を通らないといけないんだけど、

白人の友達と歩いてると、しょっちゅう、イカついニガー共に中指立てられた。

今時は、黒人の方が、白人を人種差別してるんじゃねーかって思う。


スラムには何回か行ったけど、フロアーでも、ビッチ同士が黒人男のことで殴りあいのケンカをしてたし、

勿論、黒人同士もよくケンカをしてた。それで時々、ケンカで人が死ぬんだけど、

不思議と新聞にもニュースにも載らなかった。

みんな知ってたけど、誰も大声では言わなかった。





ブライアンは確か30代の半ばくらいのアントニオ・バンデラスみたいな雰囲気のフーテン野朗だった。

こいつはイイ奴だけど、時々居酒屋で食い逃げするよーな胡散臭いトコもあった。


ある時、ドゥルーピーの親戚の子供が病気で死んだって悲報があり、みんなで悲しみを分かち合っていた時に、

「でも、お前らマリーンズの仕事は人殺しだろ?誰かが死んで悲しむのはおかしいじゃないか?」

と、とてもアメリカ人らしー事をサラッと言って、以来、ドゥルーピーとは犬猿の仲になった。





2001年、9月の11日、テレビに写ってる映像は映画か何かの様に思えた。

NYの貿易センタービルにハイジャックされた飛行機が突っ込む、誰もが分かりやすいテロ事件だった。

もしかしたら、日本人の僕らには海の向こうで起こる出来事は映画と変わらないのかもしれない。


しかし、ドゥルー達にとっては、とんでもない出来事だった。

ただ数年遊んで故郷に帰るバケーションの筈が、戦争モードに一変したのである。





美しさの欠片も無い日々だった。

全てが未熟で、何一つ深く考える事も無かった。

最初は、お互いを利用するようなゲスな間係で、友情なんか無かったと思う。


それなのに、ドゥルーがアフガンに出兵する前日、僕らは涙を流して別れを惜しんだ。

ドゥルーが僕に露店で買って、自分でつけていた安物のプレイボーイのペンダントと、

年毎に更新される、古いドックタグを僕に手渡し、 「アイ ミス ユー」 と言った。

僕はそれが男には使わない言葉だと思っていたので、

「お前、ガチホモかよ?」 と言って、2人で笑って、そしてまた涙が溢れた。

それがドゥルーとの今生の別れとなった。





アメリカはウサマ・ビン・ラディンを標的にして、集団的自衛権を発動し、NATO軍を展開して戦争を始めた。

沖縄にいたマリーンズの連中も、少しづつアフガニスタンに向けて出兵して行った。


結果、NATO軍が傭兵を含めて3500人ほど死に、29000人が負傷した。

アフガニスタン軍は10000人、民間人が20000人ほど死んだ。

でも、それらのすべては、アメリカの自作自演の茶番劇であったのだと言う人がいる。

それが事実なら、救いが無い話だ。

バカとクズと貧乏人と、貧しい国の人達が、茶番の為に殺された。





最近、日本でも、集団的自衛権の話が出ている。

どうやら、日本が、中国に対するアメリカの第一防衛ラインになるって事らしい。

国同士の利権で、いつも死ぬのはバカとクズと、貧乏人なんだ。嫌になるね。





気が付けば、また僕の嫌いな夏がきた。


これで、思い出のお話は終わり。

Send My Tears Away!!!



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