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2014/07/26

Alternate Hope and Fear





オーカさんはすぐ怒る人だったな。

ステージの段取りの事で時々、めちゃくちゃ怒られるんだけど、

毎回、何について怒ってるのか分かんなかったな。

きっとカルシウムが足りてなかったんだろーけど、

ある時、「あのー、何をそんなに怒ってんすか?」 って聞いたら、

「指飛ばすぞ、このやろー」 って、また怒られた。








The Beautiful Girls - Music







那覇ミュージックは、国際通りと58号線の間の、久茂地ってトコにあった。

ここで僕は、タバコを吸ったり、舞台に照明を当てたり、

音楽をかけたり、あくびをしたり、

お茶を飲んだり、掃除してる振りをしたり、

タバコを吸ったり、考え事をしたり、ぼーっとしたりして、お金を貰った。




入場料は3500円か30ドル、確か19時前なら2000円か20ドルで入れた。

18歳未満は入れないって事になってんだけど、

中国人や台湾人のガイドが観光客を連れてくるもんで、

よく、子供から老人までで構成された家族連れが来てたな。




週末は、客の9割がアメリカ人だった。

ドゥルーピーもよく遊びに来た。

ここで、色んなアメリカのストリート・タトゥーを見た。

あれらを全て写真に撮っておけばよかったと後悔してる。




アメリカ人にとってタトゥーは、多分、文化的な馴染みのある風習みたいなモンに思えた。

旅行先でキーホルダーを買う様に、

失恋したら、漢字で 「心痛い」 と彫ってたし、

誰も、「タトゥーは一生モノ、よく考えて入れよう!」 なんて事を言う人はいなかった。




僕のファースト・タトゥーは宜野湾の梵天タトゥースタジオで彫ってもらった。

ここも、客はアメリカ人ばかりで、中では日本語が伝わらないと思ってか、

若い彫師たちが、 「またドラゴンかよー、本当、ドラゴンと鯉のうろこ、めんどくせー!」

と、大声で会話してて、面白かった。




初代梵天さんとチャーリー・シーン




これで8万円なのか!?



ちなみに僕は左の肩に 「畢竟寂滅」 って漢字を入れてもらった。

意味は、仏教用語で、「大いなる悟り」 とか、 「完璧な安らぎ」 

賢い人はすぐに、「それって死んでんじゃん!?」 って言って笑う。そんな意味なのよ。

漢字は今は亡き、梵天太郎さんが筆で書いてくれた。確か1万円だった。





そんな大層な文字を入れた数日後に、SMショーのおばちゃんにブタ扱いされてた。

客の少ない日には、盛り上げる為に、僕らが時々ステージでおばちゃんにシバかれた。

ムチとか、ロウソクとか、全然笑えない痛さで、嫌だったなー。


本来は、週末に、アメリカ人の客なんかがステージに上げられて、

豪快にシバかれた客が、飛び跳ねて痛がると、バカウケするショーなんだけど、

客が少ないもんだから、大してウケないし、

なんだか、僕がスベったみたいな感じになるんだよなー。




この左側がSMのピアさん、ピアさんは確か50代で、ニートの息子がいて、

普段は保険屋のおばちゃんをやってた。時々、電話がかかってきて、

「林くん、いつもごめんね、・・友達とかで、保険入る人いない?」

って、申し訳ない風に言ってた。あの口調にはサディスティックのかけらもなかったな。




一番左側のピースしてるのがカレン。カレンも40代後半のベテランで、

「あたし、日本語ペロペロ!」 ってのが持ちネタだった。

ダンサーの殆どがコロンビア人だった。


僕も、日本にいるフィリピン人やロシア人の女は、ビッチで、

好き好んで日本に稼ぎに来るんだと思ってたんだけど、

実際は、「日本って豊かな国の工場で少し働けば、一生分の金が稼げるよ」

って甘い言葉に騙されて、マフィアやブローカーのルートで人身売買されてくる。




コロンビアのスポーツ新聞の一面には毎日、惨殺死体の写真が載るらしい。

コロンビアはコカインの原産国で第一位で、必然的に国内では麻薬カルテル同士の抗争が絶えず、

男の多くが20歳までに死ぬので、人口の内、女の比率がだいぶ多いそうだ。

だから、女の価値は低く、仕事もあまり無いんだってカレンが話してくれた。


カレンはこの頃、乳癌にかかって、今度、東京で手術をするんだって言ってた。

それっきり、会っていない。大丈夫だったなか?




立って歌ってるのは、埼玉出身のココちゃん。

眉毛に弧がなくて、直線だった。

ココちゃんは双子の姉ちゃんがいて、2人で一緒にAVに出て、2人の白人男と4Pしてた。

それで、って訳じゃないと思うけど、白人の男が好きで、

六本木や、横浜や、アメリカや、イギリスやに行っては恋をする、

恋多き娘で、僕の英語の先生でもあった。 それで、たまに電話があって、

「新しい彼氏に、こんな事を言われたんだ」 とか、「なんか、今度のはチャラい男なんだけど、どー思う?」 とか、

恋する度に、一々、純粋に一喜一憂する面白い人だったな。


きっと、今もどこかで新しい恋をしてるんだろーね。




コーリーは前途したベテランのアメリカ人で、

「ヘイ、ボーイズ! ステージの盆の上にダニがいて、ケツをかまれた!」

「ちゃんと、殺虫しとけや!」

って、噛まれたケツを見せながら、2、3度怒られたな。




オリオンビールは5ドルだったけど、何故かペプシは1ドルで良心的価格だった。




左側の奥にかかってるTシャツはオリジナル品で

ダンサーが踊ってる写真をプリントして売ってたんだけど、

1枚も売れたの見たこと無かったよ。

そりゃそーだよね、誰が何処で着るってーんだよね。



2014/07/25

Triple Axel




W10 at 吉祥寺








debarge - i like it

















* * * * * * *







for Krafty happy 15th Anniv



2014/07/11

Emergency Roll






パトリックはイタリア系アメリカ人のケミカル・ボーイで、

パッチってあだ名で呼ばれてた。

パッチはドゥルーに連れられて、僕らと遊ぶようになったが、

最初の頃、日本人が、と言うよりも、アジア人が嫌いだったんだと思う。

ものスゲー心の壁があって、まともに目も合わしてこなかった。



ところがある時、僕がスーパーで買ってきたスシを食っていると、

パッチが、「あれ?それって、スーシー?」 と言わんばかりの顔で興味を示したのである。

僕が、「お前、スシ・バージンか? 食ってみーや、」 と勧めると、パッチは遠慮なく3つも食って、

「ナンバーワン!」 と言って初めて笑顔を見せた。ナンバーワンはパッチの口癖だった。

その後、ナンバーワンは、日本語でイチバンだぜ、って教えたら、「イチョバン!」と言うようになった。








Limp Bizkit - Rollin'



パッチはカラオケも大好きだったんだけど、半端ない音痴だった。

リンプのローリングをよく選曲してたんだけど、勿論マイクを持ったら立ち上がり、

ローレ、ローレ、ローレ、ローレ、ロー、キープ!

ローレ、ローレ、ローレ、ローレ、ロー、キープ!

って腰の後ろに手を当てて、ノリノリで歌うんだけど、、あまりの下手さにみんな大爆笑だった。

今でも僕は、この曲を聴くとパッチを思い出して可笑しくなる。






パッチとリッパ


あの日は、僕は仕事が休みで、珍しく我が家には誰も居なかったから、

一人っ子育ちの僕は、エッチなDVDを観ながら1人の時間を満喫していたんだ。

そしたら、誰かが走ってくる足音がして、ドアをガンガン叩きやがった。

僕はウンザリしながら鍵を開けると、

パッチがバカボンに出て来る本官さんみたいにドタバタと部屋に入ってきた。




ラウラと、パッチと、ロリーナ


部屋に入って来たパッチはキョロキョロしながら、息を少し整えて言葉を発した。


パッチ 「ヤバイ、ヤバイよ、どーしよー!?ワカサ・パークの辺りをプラプラ歩いてたんだ」

僕 「それで、」

パッチ 「そしたら、日本の警察官に呼び止められた」

僕 「ほー、それから?」

パッチ 「おれは、おもクソ ぶん殴って走って逃げてきた」

僕 「パッチ、今すぐ我が家から帰れよ、」

パッチ 「ヤバイよ、ヤバイよ、」


僕 「何で殴ったの?」

パッチ 「わかんない?」

僕 「何か変なもん持ってた?」

パッチ 「スシを持ってたけど、投げ捨てたよ」

僕 「・・その必要なかったと思うな」

パッチ 「俺もそう思うよ」

僕 「OK,今すぐ我が家から出てけよ」

パッチ 「ヤバイよ、ヤバイよ、」


面白い奴だったな。そしてとても迷惑な奴だったな。




ダイチ、ナッツ、パッチ、僕、ジェフ


琉球彫よしさんの、ザ・無料タトゥー・イベントって分かりやすい名前の催し物に行ったんだ。

沖縄市の空港通りにある 彫よしさんの店にも遊びに行ったけど、面白い人だったな。






ダイチは沖縄人で、東京で詐欺の仕事の出稼ぎに行って帰ってきたばかりだった。

総合格闘技の大会で8位になったって微妙な肩書きもあった。

沖縄の男は情熱的で、夜に目が合うと高確率でケンカになった。

まー、弱そーな奴でも全力で絡んでくるから、もー僕は涙目になっちゃうんだけど、

ダイチの返り討ち率は100%で、大抵が蹴り一発だった。


でも、入れたての肩のワンポイントタトゥーが嬉しくて、しょっちゅう袖を捲ってる様な、

天然ボケで、愛嬌があって、心優しくて、かわいい奴だったな。

そいで、キャバクラの年上のお姉さんに叶わぬ恋をして、

「林さん、今日、俺、バラの花束持って、店の前で待ち伏せしてよーかと思うんです。」

とか言うから、「ダイチ君。そりゃ君、キモいぜ。」って教えてあげたんだ。






手前に座ってるマルコメ頭のジェフリー・ブラマーは、

友達の中でケンカ最強だったが、メンタルは最弱だった。

ジェフが時々、じゃれ付いてきたりするんだけど、一々痛いので、

「おい、痛いんだよ、ボケ!」と怒った顔をすると、

「ウップス、ソーリー、ゴメンネ、ゴメンナサイ、」

と、半日に亘って耳元へ謝罪に来た。



この後、写真の隣に座っているレイナと破局して、傷心し、

僕らの前に姿を見せなくなった3ヵ月後、

ドラゴンのタトゥーの入った手に数珠を巻き、

「ブッダ、イチバーン」

とか言って、創価学会に入会して現れた時は本当にウケた。






写真の真ん中の2人が、ヤスとタカだったかな?

この2人とも、松山のクガニ屋って居酒屋で友達になった。

クガニ屋は今はもう無いみたいだ。



狭い沖縄のなかでも、地域ごとの特色なんかがあるらしくて、

南部の奴らはヤバいと時々耳にした。

タカとヤスは南部の糸満の奴らで、初めて会った時、

「実は俺たち、傷害事件が何件かで指名手配中なんですよ、うへへ」

とか言ってた。「ホントか?」 なんて思ってたら、

その3時間後にはクガニ屋の店内で大乱闘が始まった。






事の発端は、ウソの様な本当の話なんだけど、

写真の真ん中に写っている、タカとヤスの子分その①みたいな奴で、

ジゲルって名前だったと思う。


シゲルが、何かを注意してきた店員に絡みだしたのである。

当然、冷静な僕らは、「まぁまぁ、」とか言いながら、様子を見ていた。

シゲルはバカだから、ボキャブラリーが少なくて、すぐに言葉に詰まり、

悔しそうに「おらぁ!」とか言いながら手が出た。

見るからにスローで大振りなパンチを、店員はサッと後ろに避けた。

シゲルのこぶしは勢いを増して、向かい側に座っていたヤスの頬に

ベチンと音を立てて当たった。本当に。本当に。




この真ん中がヤス


僕は、「うそーん」と、口に出し、ヤスは「フッ、」 と言って笑った。

少し間を置いて、ヤスは立ち上がり、「避けんなコラ!」 と言って店員を殴り、

振り返って、シゲルを殴った。

殴られたシゲルは、「す、すんません!すんませんでした!すんません!」と3回叫んで、

出口に向かって走り、そのまま全速力で逃げていった。

コントみたいだった。


それで、怒りの矛先を無くしたヤスが無差別に暴れだし、大盛り上がりの乱闘になった。

ここまでは、ファンキーな友達を持つ人ならば、時々ある話だと思う。

こいつらのヤバい所は、乱闘のピークあたりで、ヤスが空き瓶で友達のタカの頭を殴ってるとこである。

そして、殴られたタカが、フラ付きながら振り向いて、ヤスの顔をみて、ニヤリとした辺りである。






その後、ヤスが店の外に出て、プロパンガスの小さいボンベをぶん投げて、

ボンベがガャシャンガャシャン、火花を散らしながら、転がってるのを見ながら、

僕は、「ダメだ、ついてけねー」 と思って戦線離脱した。


それから少しして、地回りの893が来て、やっと騒ぎは収まった。






僕らは何故だか彼らに好かれたらしくて、2人は何度か我が家に遊びに来ていた。

この日は、ドゥルーが、男同士、裸になって語り合おうなんつって

全員の服を脱がしたんだけど、みんな妙な感じになって、あんましゃべんねーの。


きっとあの2人に堅気の人生は無理だろうな、せめて刑務所の中で無い事を祈っているよ。


それにしても、この写真のドゥルーピーのドヤ顔、なんかムカつくよね。

この人だけ、やたら満足そーだったもんな。



2014/07/08

The Meeting Place will be Staten Island



アンドリュー・カミンズ・Jr こと、ドゥルーピーと僕


年が近かった事とか、僕の「FUCK!」の発音が良かったせいか、アメリカ人の友達も出来た。

よくよく思い出すと、沖縄ライフの中では、ドゥルーとが一番長い付き合いの友達だった。








Walls of Jericho - Jaded








ドゥルーピーはNYっ子ぶってたが、シカゴ出身の田舎モンで、エミネムが大好きだった。

写真のこの部屋は、前のアパートを何故か追い出され、更なる自由を求めて離島に旅立ったジョージさんと別れ、

リッパと2人で住んでた那覇の裏松山地区の2軒目の我が家。


ドゥルーはこんなかわいい笑顔してるが、とんでもねー。

色んな奴をこの部屋に連れてきては酒を飲ませて泥酔させ、

寝込んだら財布から金を取る、歌舞伎町スタイルの悪い奴だったな。




左から、スパースター、ロレーン、ドゥルー、僕、リッパ、ダンテ


みんな普天間の米軍基地で働いてるマリーンズの奴らだった。

マリーンズとか、海兵隊とか言うと聞こえはいいが、

実際は、田舎で職探しに困ってる、学の無い貧乏人か、

軽犯罪でパクられて、服役するか?徴兵か?って選択でなる奴が殆どだって聞いた。






つまり、マリーンズはバカかクズばっかりなので、必然的にアメリカ人お断りの居酒屋とか、クラブとかは多い。

ところが裏技があって、アメリカンNGの店でも、日本人が同伴なら入れる事がある。

ドゥルーピーは、ずる賢い奴だったから、自分の遊び場を増やすって意図で、少し言葉が通じる僕に話しかけてきたんだと思う。

でも、人間関係の始まりは、多かれ少なかれそんなもんだよね。




こいつの名前は忘れたけど、ドラゴンボールがめっちゃ好きだって言ってた。
鳥山アキラは偉大だな。因みに僕はアラレちゃんの方が好きだけどね。
しかし、僕もこいつもすげーバカそうだな。


それで、僕はその頃、ネットでまだ規制前だった鑑賞用のマジック・マッシュルームを

グラム:450円で仕入れて、2500円で売るって商売をドゥルーをパートナーにして始めた。


ある時、常連の客が、

「実は俺たちMP (ミリタリーポリス) なんだ。」

って言った時は、おしっこ漏れそーだったな。






沖縄のコンビニとかスーパーでは米ドルが普通に使えた。だが、大半の店は¥オンリーだった。

マリーンズの給料日は月に2回、ドルで支給される。

北谷のショッピングモールにあった両替機はいつも人が並んでいた。


調子に乗った僕は、当時、1ドル:120円だったとこを、1ドル:100円で両替商法を始めた。

大体、50ドル単位で両替して、これが中々に、銀行が閉まる夜には結構繁盛したんだな。


当時は金持ち気分だったけど、財布に入ってんのが全財産だったから、大した事は無かったね。

因みに本業は17時から2時まで働いて、日当5~6千円の、最低賃金だったな。




ドゥルーとアイダ


アイダは雰囲気がワハハ本舗の柴田リエに似てたから、僕とリッパで、「シバタ」 ってあだ名で呼んでた。

本人も気に入って、「シバター! 私、シバタ!」 って言ってたな。






ドゥルーピーはカロリーナを口説くためにオカリナを練習してた。




カロリーナとドゥルー


まー、誰が聴いても下手だったけど、熱意が伝わったみたいだった。

ホントに、ふぴーひょろろー、みたいな感じで、下手だったんだけどなー、

女心って本当に、まったく分からないものですね。






りっぱも、「アレなら俺でもできるわー」

と言ってオカリナを吹きまくってたけど、誰にも熱意は伝わってなかったな。






この我が家2号店は、1DKで、前の我が家より狭かったが、千客万来だった。

オナニーなんか、絶対にできなかった。

更に、同居人に彼女が出来たんで、追い出されて家無き子になったヨッシーが、

僕のトコに来て、「はー、どーしよ、はぁー、どーしよ、」

って言うから、ついつい、「うるせーなー、いーから来いよ」 とか言ってまた1人増えた。


隣の部屋には老人夫婦が住んでいた。さぞかし迷惑だった事だろうな。

でーじ、わっさいびーん。






あんな汚ねー、ムードも糞もねー部屋で、よく盛り上がると思うんだけど、

時々、仕事から帰ってくると、ドゥルーがどこぞのビッチを我が家に連れ込んで寝てたりした。

それが決まってリッパの布団なんだよね。

リッパは、「くっそー、また俺の布団でよーこいつー」

「まだ、俺、この布団でやったことないのにー」






「あ、びーちく見えてる」

「ちくしょー、混ぜろやし」

とか、言いながら、ベタベタした台所の床で眠りにつくのであった。






この時は、リッパが沈没したドゥルーピーに、日頃の恨みを込めて枝豆地獄をお見舞いした。

しょーもないね。



2014/07/01

Phillips 58





沖縄の夜には、野良犬や猫、ホームレス、野生児が何処からとも無くワラワラと現れた。

深夜に海辺の公園で遊んでいたら、茂みから子供が飛び出してきて、僕に飛び付いた時はビビッたな。

その子の写真はないけど、シゲトって男の子で、小学3、4年生だった。

片親で、母親はフィリピン人で夜働いてるから、1人で家にいるのが怖くて出てきたそうだ。

別れ際に、可哀想だったから、電話番号渡して、近所だし、いつでも遊びに来いよって言ったら、

しょっちゅう、夜に遊びに来るようになった。

そんで、毎日、シゲトの母ちゃんから電話もあった。


シゲトのおかん 「シゲトいるか?お前、いつも、ありがとな!」


あのキメ文句は最高だったな。







R. Kelly - Ignition







写真の一番上の青年は、フジタヨシオ A.K.A. ヨッシー

ヨッシーは、この頃20歳で、大阪から遥々、一年間やり取りしたメル友に会いに沖縄にやって来てた。

大阪から会いに来るって事は、そーとーいい女なのか?って聞いたら、写真も見た事ないと言う。

沖縄に来たはいいが、メル友の女は一向に会う気を見せない。

そんな悶々した日々が1月くらいあって、いよいよ待ちに待った、決戦の金曜日が来た。


その日の夜、僕らのトコに遊びに来たヨッシーの表情はドッキリに引っかかった芸人みたいだったな。

「どーだった?」って聞いたら、

ヨッシー 「はぁ、チビで、デブで、めっちゃブサイクでした。はぁ~。どうしよー?」

僕 「くわっかっか、そーか、そーか、そりゃ残念だったな、また来世で頑張・・」

ヨッシー 「でも、中出しして来ました。」

僕 「なんでーやねーーーーん!!?」

これだから大阪人は面白いよね。





手前がパッチ、真ん中がヨッシー、その奥に寝てるのがメル友

この写真の時、ヨッシーは海で はしゃぎすぎて鼻血が出たんだ。


ヨッシーは、出会った頃は、尾崎豊が好きで、タイトなジーンズに無地のTシャツを着て、

なんだか、やたらと影をアピールしてきて、暗い感じだったんだけど、

ある時、僕が家でかけてたRケリーのスローなR&Bに食いついて、

その4日後には、髪をマルコメにして、Bボーイになってた。

それから、ケリー・ローランド、当時流行っていたネリーと聴き進み、

とうとうB系専門の洋服屋で働いた程だった。

夏休みが明けたら不良みたいな、人が変わる瞬間を見れた貴重な体験で、面白かったな。






一番左にいるのがヨッシー。その隣がメル友のコナツちゃん。

2人はこの後、子供が出来て、めでたく結婚した。

ヨッシーは友達の中で、一番何を考えてるのか分からない奴だった。

でも、結婚しちゃうんだもんな、本当に大阪人は面白いよね。






マコトはリッパの同級生で、ピースサインの通り、すげーいい奴だった。

それで、好きなモノやコトが多すぎて、それらに見放されてしまいそうな感じが、

他人に思えない奴だったな。今でも時々、「心配してます!」って連絡が来る。






この女の子は名前なんだったけな?

リッパがずっと好きだった子なんだけど、

右側のジェイソンに獲られそうだね。







左からタクト、ローレン、アマンダ、僕、

タクトは小説家を目指す文学青年だったけど、

毎日ドラッグをツマミに酒飲んで、高田渡とか、友部正人とか、

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとか、ボブディランとか、

カスれた様な音楽聴いてる変態で、両親は2人とも学校の教師だった。

ドラッグのやり過ぎで、精神疾患になって、障害者手帖みたいなのをもらってた。

「でも、医療費が安くなったよ」って喜んでたな。バカだったな。

両親が先生の子供は、糞真面目か、すっ飛んでる人かのどっちかしか会った事がない。

だから僕は、教師ってのは何かがズレてる特殊な人種なんじゃないかって思ってる。






ここは、4軒目の我が家で、宜野湾市にあるパレス比嘉ってアパート。

この日は台風で、5階の部屋から階段下りて、車でスーパーに行って、

帰って来ただけでなのに、こんなにビタビタだった。

風が凄いから、階段はカエルみたいに這って上り降りした。本当に、






アパートの近くには、新町社交街って名の赤線エリアがあった。

今はもうない。

赤線ってのは、ちょんの間ってゆーか、売春街なんだけど、

それが住宅街の中に商店街みたいな感じで存在していて、

すぐ横に小学校があった。風営法もなんのそのだ。


僕はアパートに、転売する為の車を停めてたんだけど、

ある時、車の上に小学生が6人くらい腰掛けて遊んでた。

僕の商品が、こりゃ大変だと思って、

スパンスパンと子供らの頭をシバくと、「くるすど!」と凄まれ、

あわや、小学生たちに袋叩きにされそうだった。

まるでブラジルの子供達みたいで、

ちょっと、本当に怖かったな。

でも、あの環境じゃ、当然だよね。

沖縄には、ヤクザと右翼と、創価学会がとても多かった気がする。






写真の女の子はリカちゃん。リカちゃんとは、クラブで友達になった。

18歳だって言ってたけど、今見ると16、7に見えるね。


リカちゃんは、彼氏の実家の会社が倒産して、その家の借金を返済する為に、

彼氏に、馬車馬の様に働かされてた。彼氏は体調を壊していて無職らしかった。

「最近、ソープランドは給料がいいらしー、どうだ?って言われるんですぅーくぅー」

と言っては泣くもんで、リッパが我慢出来ずに、

「お前、それ、騙されてるよ。」

と言って、リカちゃんは発狂してたな。


僕が軽い気持ちで、 「嫌なら逃げればいいじゃんない?走ってさ、」 と言ったら、

そーする事になった。どうせならアメリカに行きたいって言うから、






丁度、カリフォルニアに帰るコーリーを紹介した。

コーリーには、僕と同じ歳の娘がいるらしくて、完全に僕は子供扱いされてた。

この写真は風邪で調子が悪いって言ったら、頭をグリグリされて、

「痛ぇー、痛ぇー、」言ってたら、ぐへぐへ言って満足そうに笑ってたな。


悲劇のヒロイン・リカちゃんの話をコーリーは快諾し、一件落着した翌日、

「あ、でも、あたし、パスポート無いです、パスポート。」

となって、行き先はぐっと身近な大阪になった。

逃げる日、みんなで空港まで見送りに行った。

そしたら、リカちゃんが、僕のお気に入りのバーバリーのバッタみたいなニットを

「餞別に!お願いします、餞別に!」

「えー、嫌だよ、お気に入りなのに、えー、」

ってやり取りをしてから取られた。

あぁ、何故、僕の1度も洗ってないニットよ。



その後、リカちゃんはどうしたかな?

あのニットも虫が死ぬほど臭かったはずだから、

飛行機の中で死んだかもしれないな。



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