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2017/08/12

Stone The Crow





増田さんはその頃、ヤクザでもないのに、

いいか林、ヤクザってのはプライドの為なら死んでもいいって思うもんなんだぞ。

と言った3年後に、汚ねー部屋で孤独におっちんだ。









Airi Hiramatu - Room & Y-shirts & Me


そろそろ海の底に地獄の扉が開いて、霊達が帰省して墓地が賑わうお盆ですね。

先日、同級生の北原君から連絡があって、

川崎のマンションから一軒家に引っ越したそうなので、遊びに行きました。

家はイギリスの田舎の少し古い豪邸みたいな感じで、イカしていました。

2階の暖炉のあるリビングで少し談笑していると、北原君と嫁が買い物に出かけて行きました。

出掛ける際に、「1人になったからって、オナニーすんなよ?」と言い、

「しないだろ?」と僕は答えました。

ベランダに出ると、広い庭とその先に森林が見えました。

そしたら、急に暇な気分になって、リビングのソファに座り、

エロDVDを見つけたのでオナニーをかましてしまいした。

終わった後、窓の外を振り返ると、北原君がニヤニヤと笑っていて、

その隣で嫁のカナちゃんがくっくっくっ、って感じで、

僕も照れて、おぃ!と言って笑う、そんな夢を見て、

久々になんだか、ほっこりした気分で目が覚めると大遅刻して大変でした。

なんとなく猫を飼いたい気分です!








僕は映像の専門学校を出た後、新宿にあった、

プロビデオステーション新宿って言うダセー名前の業務用の映像機材屋で週4日バイトを始めた。

店名は略してプビステだ。

面接してくれた店長の須藤さんの横に、

香水をぷんぷんさせて、オールバックでゴリラみたいな男が座って履歴書と僕を交互に見ていた。

それが増田さんであった。

その香水が甘い感じだったので、僕は増田さんの事を、なんだかメスゴリラみたいな人だなと思った。





増田さんは僕より15歳くらい年上で、ウンコも臭かった。

西新宿の店が入っている雑居ビルの便所で、

増田さんがウンコした後に便所に入ると、

香水とウンコのミックスで、臭いし、気持ち悪いし、

貧乏くさい便所だし、死にたくなる程だった。






増田さんは「あぁ?」が口癖で、すぐ怒る人だった。

1度言った事を2度言うのは、面倒なのでイラっとするのは分かる。

しかし、増田さんは「あぁ?違ぇーぞ、お前、これはこーだ、もーこらぁ!」と、

まだ初心者の僕に、1度目からキレてくる訳だ。





当然、僕はすぐに増田さんの事を嫌いになって、

出勤するとまず、「おはようございます。」と言いながら、

返事もせず、「あぁ?」って顔の増田さんに、

「お前嫌いやわー。」と怨念を込めながら、6秒くらい目を合わせてから始まる。

店はなかなかに繁盛していて、電話が鳴り続けていた。

店長の須藤さんは常にイライラしていたし、

増田さんは口を開けば怒るし、ちょっとミスした運送屋は速攻で襟首つかんで壁に押し付けてたりするので、

店中は常にピリピリしていた。

その他には、北条くんって僕と同じ歳くらいのバイトと、同じく高橋くんってゲイみたいな奴と、

パートの佐藤のおばちゃんと、経理の中柴さんって女の子がいたが、

みんな須藤、増田の顔色を伺うのが一番の仕事のようだった。


須藤さんは、役職は上であったが、増田さんにはだいぶ気を使っていた。

増田さんは、営業担当で外回りによく出ていく。多分外で、昼寝してんだろーけど、

増田さんがいない時、須藤さんが

「まぁ、しょうがねんだよ、あの人、俺の1こ年上だからさ、」

と言った。

僕は、ダメだこりゃ、辞めようと思ったのである。





そいで、いつ辞めてやろうか、タイミングを計っていたら、

天然オカマ口調の高橋くんが、増田さんに、

「このバカ、てめー、帰れ!2度と来るんじゃねぇ!」

と言われてクビになった。

そいで、僕に「おい、林、お前出勤増やせ。」

と言うので、「嫌です。しかも僕、怒れれるのすげー嫌いですからね、そろそろ限界ですよ。」

と返すと、それから僕は殆ど怒られなくなった。

しかたないので、相変わらず週4で働いてやる事にした訳だ。





業務用の映像機材屋と言うと聞こえはいいが、

客の半分くらいはエロビデオ屋で、クズみてーなのだったし、

映像業界の殆どは、芸能界に憧れるミーハーか、映像オタクかなのは確かだ。

増田さんはよく、「映像なんてチマチマしたもんが好きなやつなんて気持ち悪りぃよな?大嫌いだわ。」

と僕に言った。僕は面接で映像愛をアピールしてたから、

この人は、興味のない事は聞こえないタイプの人なんだと分かったので、

そーですよねー、気持ち悪いですねー。と答えてお茶を濁した。

増田さんは客を万引き野郎としか見ていなかったし、

5分以上いると舌打ちしまくって追い返した。

最高に感じの悪い店だったはずだ。





増田さんと楽しく話す様になったのは、増田さんが若かれし頃、

バイクでレースをやっていたって話を聞いてからだった。

10代の終わりころから、20代の前半あたりまで、ヤマハのTZ250で、

筑波のあそこのコーナーはギリギリ全開で回れるんだぞ!とか、

もー、コーナーの途中は外側にぶっ飛びそーで、めちゃくちゃ怖いんだとか、

当時、ツナギメーカーのセクレテールからレーシングツナギを貰って、テストに協力してたんだとか、

またバイクに乗りたいなとか、今度、レンタルバイクしてツーリング行くか?とか、





時々、飲みにも連れて行ってもらった。

突然、トルコ料理屋で微妙なベリーダンスを見せられたり、

移動の途中の電車で、入り口を塞いで立ってた女を突飛ばしたり、

何故だか新宿5丁目のニューハーフバーに行って、

シベリアに抑留されてたって70代のオカマと千円札をばら撒きながら話したり、

大衆居酒屋の店員の態度にイラついて襟首掴んで壁に押し付けたり、

嫁の話や、息子の話、娘はブスで今高校生なんだけど、貰い手がいなそうだから、林どうだ?とか、





増田さんは多分、敏感肌で、時々、口の周りをブツブツにして出勤してきた。

そんな日は大体、電話が比較的鳴らない土曜日で、ご機嫌であった。

僕は、ははぁ~んと思った。

僕が更に昔に働いていた、地元近くの東芝の工場で一緒に働いていた、

パンチパーマの加藤さんもそうで、加藤さんは、

「俺さ、肌が弱くて、女のマンコ舐めると、次の日必ず口の周りがブツブツになるんだ。」

と言っていた。どうやら、女の下から分泌される体液は乾くと酸性に変化するモンらしー。


ほいで、増田さんはブツブツにクリームを塗ったりしながら、

「昨日はよー、俺、アイスとか甘ぇーの嫌いなのによ、嫁が「あーん♪」とか言ってアイス食わしてきてよー、」

とラブラブトークをかましてくるのである。

僕は、「へー、結婚長くてそんな感じなんてイイですねー!」なんて言いながら、

実際にあり得ない話ではないので、素直に羨ましく思ったり、感心したりした。





話は戻って、

1970年代から80年代の日本では校内暴力ってムーブメントがあったそうな。

良く知られている具体的な話は、学校の校舎の窓ガラスを全部割ったり、

廊下をバイクが走ったりして、学級崩壊してしまう現象で、

それがメディアに増幅されて、全国に広がったと言う、

発展途上世代の、様々なシステムが未完全ゆえの面白い現象で、

本当に当時は、殆どの中学校、高校がやさぐれていたそうだ。


そんな時代の全盛期に増田さんは埼玉県で育ったそうだ。

当時の話は過激で、みんな新聞に載る事を目標に悪さをしてたって話や、

中学校の女教師は殆どレイプされたらしいし、

全校集会中に校長先生をナイフで刺してガッツポーズで警察に連れて行かれた友達もいたらしい。






その頃は悪い子供達が高校を卒業する年頃になると、

ひとしきり集められて自衛隊か警察官かどっちか選べって勧誘に来る話は

他の地方出身の先輩にも聞いた事がある。

だもんで、警察官も極悪な人種が多くて、汚職は当たり前だし、

バイクで暴走遊びしてると、警官が笑いながら車をぶつけてきて飛ばされたそうだ。

怖いわ。

今の時世では想像できないほどマッドマックスですね。





増田さんは、中学を卒業してすぐにヤクザになったそうだ。

暴走族してからヤクザになるより、中卒でなった方がすぐに幹部になれるからよ。

俺らはよく、夜中に道路で検問張って暴走族いじめて遊んでたんだぜ。

とドヤ顔で語っていた。

ほいでヤクザになって、事務所で電話番したり、ごみ収集所を任されて、

時々、死体を焼いたりしていたそうだ。





しかし、ヤクザの人達の多くは暴力しか取り柄の無い人なのだが、

Vシネマ映画のようにしょっちゅう抗争がある事もないし、見栄を張る為には金を生み出さねばならない。

シノギが上手だったり、カリスマ性があったりしない限り、なかなか幹部にはなれないのである。

凡庸なヤクザであった増田さんは、平成4年からの暴対法の煽りでどんどん生活が苦しくなり、

足を洗う事にしたそうだ。

それから不動産屋になって、そこに家を買いに来た武田さんと言う人に誘われて今の職に転職したそうな。

武田さんも、横山やすしみたいな雰囲気の人で、堅気の人間には見えなかった。





その業務用の機材屋は日立ハイテクソリューションズって会社の武田さんが映像作りの趣味があって、

放送用ではなく、業務用の店がまだ少なかったので実益を確信して作った、異例な店であった。


初めは順調で、その店が始めた定価破壊と価格競争でそれなりの大きな利益が出たそうだ。

しかし、ネット時代の到来で、仕入れの2%程の利益しか取れなくなり、

僕が働いてから2年もしない内に赤字が続くようになり、閉店した。

常連のお客さんが、2chの掲示板に「祝。閉店・・・」ってスレッドが立ってたよ。

と教えてくれた。






事実上、店は閉店したのだが、大きい会社には色々な事情があるらしくて、

すぐには無くす事が出来ないと、よくわからない説明をされ、1年間ほどの間に少しずつ売り上げを下げて、

部署を閉鎖する運びになった。

店舗は家賃100万の新宿から、芝公園の本社の肩身の超狭い片隅に引っ越して、

その時点で須藤さんは別の部署に移動し、

半年後に増田さんがまた別の営業部に行き、

最後の責任は何故だか僕が負わされる事になった。

完全閉店後、お情けなのか、契約社員として誘ってもらえたが、

僕は毎日髭を剃って、スーツを着続ける自信がなかったので断った。





それから2年ほど経って、武田さんから連絡があって、増田さんが死んだと聞いた。

あの後1年くらいで、増田さんは会社に居場所を見つけられなくなったみたいで、

辞めてしまったそうだった。

それから、40過ぎた暴力顔のゴリラにいい仕事が見つかる訳もなかったんだろう。





「え?自殺ですか?・・じゃあ、家族は大変ですね?可哀そうに、」

と、僕が言うと、武田さんは、

「何言ってんだお前?増田は独身だぞ。部屋で一人で死んでたんだ。親族からも絶縁されてたみたいだしな。」


・・・


増田さん、あの世でも、こーまん舐めると口の周りはブツブツになりますか?


ともあれ僕は、生まれて初めて人の死に心から冥福を祈ったんだな。



tomohiko hayashi

2014/09/17

Anything Which there is between a Dream and Reality











Alysha Brilla - Moody's Mood For Love






HORIZARU TATTOO at 田端




ヌエのバックピース by 彫猿




タヌキとキツネとコウモリのスリーブ by 彫猿




カニのバックピース by GENKO




渋谷と肩こり除けのサロンパス








ある朝、蛇口をひねると水が出なかった。

何故だろうかと立ち尽くしていると、人間大の魚に男の手足がはえた奴が椅子に腰掛け、

世界中の水が枯れたんだ。と、ごく落ち着いた口調で言った。

僕はそいつの姿に一瞬ギョッとするんだけど、

その魚の奴が慌てる事もなく、悲しむ様子もないので、

もしかしたら波乱の人生を生きて変わり果てた旧くからの友達なのかもしれないと思う事にした。



僕は外の様子が気になって、出かけることにした。

魚の奴も誘ったが、奴は顔を向こうに向け、手を左右に振って部屋に残った。



奴は多分、鯉だった。



外はどこも、歩行者天国の様に人で溢れていた。

少しすると、人々が同じ方向へと流れだした。

誰かが、海だ!と叫んでいた。僕も同じ方向へと歩いた。



直ぐに海に着いたが、当然枯れていて、見渡す限り荒れ地であった。



砂浜には家ほど大きい宇宙船の様な形の物があった。

僕の隣の奇形の男が、あれは鳥取県で開発されたハイテクな地底船で、

先端についているドリルで地中に潜れる、とても珍しい物だと教えてくれた。



地底船の前の壇に、ローマ法王の衣装を着た、小太りな男が立った。

そして、法王はコメディアンの様な口調で、

水を取り戻すには生け贄が必要だと拳を振り上げ、

若い女が壇上に上げられ、どわーっと歓声があがった。

生け贄の女が、嬉しそうに、そして恥ずかしそうにマイクを持って、

「みんなCD買ってくれたぁ?」 というと、

集まった人々は一斉に両手に紙袋を持って踊りだした。


みんなが踊っている間も法王は演説を続けた。

「生け贄を汚ないまま差し出す訳にはいかない、

美輪明宏の予知ではまだ地底には僅かな水が残っている。

それを今からこの地底船で採取して、生け贄の女を風呂に入れるのだ。」



浜辺には太陽が照り、誰もが汗をかいていた。人々の踊りは続いた。



僕と奇形の男は踊らずにぼーっと立っていた。

奇形は、「ふん、バカバカしい。美輪は偽物だよ。

それよりこの騒ぎに乗じて地底船に忍び込もう」 と、僕の顔を覗き込んで言った。

僕らは地底船に向かった。



地底船に近づくと、壇上に浮浪者が駆け上がった。

垢だらけの浮浪者は生け贄を若い女にするのは可哀想だと言い、自分が変わると言った。

インチキ法王は、「お前ではダメだ価値も意味も無い」 と言い、

押し問答の末、浮浪者はインチキ法王をレンガで殴って殺した。



押し問答の最中に、浮浪者の耳の穴から、小さく折りたたまれた紙切れが地に落ちた。

地底船の近くまで来ていた僕はそれを拾って読んだ。

彼が、世俗の喜びも、人道も愛もしらず、人生を芸術にささげ、

無一文になってもなお、芸術への熱い渇きと、少しの両親への懺悔が綴られていた。


僕がその汚い紙から顔を上げると、奇形の男は消えていた。

浜辺の人々は壇上の生け贄と浮浪者にならって、口を閉じ、両手を大きく「Y」の字に広げて空を見上げていた。



残暑の日、そんな夢をみたよ。











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