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2022/08/24

Perfect◎Peace





僕と同じ職場にレッドってやつがいた。










STUTS - Changes feat. JJJ







レッドは、KONGS MCで湘南乃風のレッドライスさんが好きで、

六本木のキャデラックディーラーの横のクラブで働いていて、

「俺の事はレッドと呼んで下さい。」って言ってテンガロンハットをよく被っていた。

欲しい服は白いSchottのライダース

この日の白コーディネイトはクローズの河内鉄生スタイルだ。


そう言う事が平気で言える奴だった。







レッドはワイルドスピードからの流れで、映画トリプルXのヴィンディーゼルを見て、

「うわぁー、めっちゃかっこいい。」

とシビれて、ヴィンと同じTATTOOを左腕に入れた。

雑なストリート英語も少し話せて、

職場の美容サロンの受付に外人客が来ると

「何がしてーんだ?」と、

下町の魚屋みたいな英語で接客していた。

絵に描いた様なワイルドさだった。







少しして、トリプルXの続編映画が公開され、映画館でレッドは驚愕した。

「うわぁー、ヴィンのタトゥー、変わってるやんけー⁉」

ヴィンディーゼルのTATTOOは、ドヤ顔で変わっていた。

20代の頃に乗ってた原チャリは

ホンダのジョーカー90だったらしい

レッドとはそういうお茶目なとこもある奴だった。






若くてかわいい彼女がいたけど、

変態の出会い系掲示板サイトで堂々と顔写真を出して友達を募集してた。

当然、その写真のレッドはテンガロンハットでキメ顔だった。

それで会ったセフレの体をロープで縛って

マジックでメス豚と書いたんですよ、と嬉しそうに写真を見せてくれた。


自分の嫁との結婚式の前夜には嫁のマブダチの女とやったそうだ。


何でもない日に、これ使って下さい◎

と言って、僕に大人のおもちゃ屋で買って来てくれた

チンコの勃起力があがるSMギア的な

知恵の輪みたいな黒いゴムをくれた。


まるで恥ずかしい事が無いような

男の中の男だった。







高校生の頃は先生に頼まれて生徒会員だったと誇らしく話してた。


夢占いも詳しくて、

とてつもなく爆発をする夢は人生の転機が訪れる知らせである事や、

僕が泥棒で、何もかも根こそぎ盗む夢を見た話をしたら

盗むとは強引な方法で欲求を満たそうとするものであり、

日々の抑圧された環境の反動から何か危険な行為をしたい欲求や願望が高まり

盗んだものを手にするが、

潜在的には良心の呵責に苦しみ心が疲弊してゆく

やがて心が何かを失う事を意味していると教えてくれた。


乙女の心を持った、

夢博士だった。







ある日職場でミカちゃんが店内で怪我をした事件があった。

レッドはシノブ君が手当をしていたのを押しのけ、

お前は氷を持って来い!

と言い放ち、応急処置が施された。

ミカちゃんは足を骨折してしまっている様子だった。







救急車を呼んで!

それまでソファに運ぶよ、シノブは足の方持って!

チッ、あー、もうどけよ!

そう言ってレッドはシノブ君の突き飛ばし、

お姫様抱っこでちゃんミカをソファに下した。

シノブ君は顔を赤くして怒っていた。


後から騒ぎの様子を見に来た僕でさえレッドに惚れた。







僕がその子の上司だったので、救急車に付きそう事になった。

僕はその日の夜に予定があった事や次の日の朝も早い事を思って

まぁしょうがないな、と重い足で救急車に向かった。

救急隊員に挨拶して救急車に乗り込もうとすると、

「あれ、もう付き添いの方乗られてますよ?

ヒョウ柄のパーカーの方が、」

僕はドキドキしながら救急車の窓を覗いた


まだシノブ君の紹介で入社3ヵ月目くらいだったレッドが

その日初めて会話をした女の子を

とても心配そうに見守るその背中は

まるで初めて生まれる我が子が産まれるのを待つ様な、

田舎のカトリッククリスチャン教会の

平日の昼間に神父に罪の告白をする事を躊躇っている若者のような

神聖さを纏っていた。


僕はこいつは完璧な主人公だと思いながら

救急隊員に失礼を詫び、

走り去る赤色灯を見送った。







そんな完璧に見えるレッドにも欠点があって、

絶縁中の嫁との間に双子の息子がいたが、

会わせてもらえず、

借金もあって息子達には何もしてあげていなかった。

そんな自分を恥じて、

時々酒を飲むと死にたいんです。と言った。







深酒をすると、

明け方に道路の真ん中に立っていて

車のクラクションの音で我に返る事が何度もあったって


それでも週6日毎日12時間以上真面目に働いて、

少しずつ生活はよくなっていたのに、







2018年の12月30日の会社の忘年会でレッドは大酒を飲んで、

その場で仰向けに寝て、ゲロをのどに詰まらせて窒息死した。

同じ死に方をした有名人は、

ジミヘンとか、レッドツェッペリンのドラム、ゲイリームーア、

沢山いて、それだけでレッドがイカした奴だったって事が言える。

悪くない死に方だと思う。


救急車が運ばれた先で、付き添ったシノブ君は

レッドの遺体を確認に来たレッドの別居中の嫁に無視され、

レッドの親に目を逸らされ、

レッドの8歳になる双子の息子達が泣きじゃくるのを聞いていたそうだ。







僕はその頃福岡にいて、葬式に行けなかったから

東京に帰った時に

墓参りに行こうと思ったのでシノブ君に聞いたら、

レッドの家族から埼玉県の住所の途中までしか教えてもらえなかったそうだ。

その地区の番地の分からない3丁目に墓地は無かった。

他の知り合いを伝って調べてもらったが

誰もレッドの墓を知らなかった。



少しだけその事の意味を考えてみたけど、

僕にはわからなくて

まぁ、死に方が恥ずかしくて

少しの間はほっておいて欲しかったんだと思う事にした。


でもレッドは目立ちたがりでさみしがり屋だから、

今でも年に1度だけLINEで誕生日を知らせて来るんだ





2017/08/12

Stone The Crow





増田さんはその頃、ヤクザでもないのに、

いいか林、ヤクザってのはプライドの為なら死んでもいいって思うもんなんだぞ。

と言った3年後に、汚ねー部屋で孤独におっちんだ。









Airi Hiramatu - Room & Y-shirts & Me


そろそろ海の底に地獄の扉が開いて、霊達が帰省して墓地が賑わうお盆ですね。

先日、同級生の北原君から連絡があって、

川崎のマンションから一軒家に引っ越したそうなので、遊びに行きました。

家はイギリスの田舎の少し古い豪邸みたいな感じで、イカしていました。

2階の暖炉のあるリビングで少し談笑していると、北原君と嫁が買い物に出かけて行きました。

出掛ける際に、「1人になったからって、オナニーすんなよ?」と言い、

「しないだろ?」と僕は答えました。

ベランダに出ると、広い庭とその先に森林が見えました。

そしたら、急に暇な気分になって、リビングのソファに座り、

エロDVDを見つけたのでオナニーをかましてしまいした。

終わった後、窓の外を振り返ると、北原君がニヤニヤと笑っていて、

その隣で嫁のカナちゃんがくっくっくっ、って感じで、

僕も照れて、おぃ!と言って笑う、そんな夢を見て、

久々になんだか、ほっこりした気分で目が覚めると大遅刻して大変でした。

なんとなく猫を飼いたい気分です!








僕は映像の専門学校を出た後、新宿にあった、

プロビデオステーション新宿って言うダセー名前の業務用の映像機材屋で週4日バイトを始めた。

店名は略してプビステだ。

面接してくれた店長の須藤さんの横に、

香水をぷんぷんさせて、オールバックでゴリラみたいな男が座って履歴書と僕を交互に見ていた。

それが増田さんであった。

その香水が甘い感じだったので、僕は増田さんの事を、なんだかメスゴリラみたいな人だなと思った。





増田さんは僕より15歳くらい年上で、ウンコも臭かった。

西新宿の店が入っている雑居ビルの便所で、

増田さんがウンコした後に便所に入ると、

香水とウンコのミックスで、臭いし、気持ち悪いし、

貧乏くさい便所だし、死にたくなる程だった。






増田さんは「あぁ?」が口癖で、すぐ怒る人だった。

1度言った事を2度言うのは、面倒なのでイラっとするのは分かる。

しかし、増田さんは「あぁ?違ぇーぞ、お前、これはこーだ、もーこらぁ!」と、

まだ初心者の僕に、1度目からキレてくる訳だ。





当然、僕はすぐに増田さんの事を嫌いになって、

出勤するとまず、「おはようございます。」と言いながら、

返事もせず、「あぁ?」って顔の増田さんに、

「お前嫌いやわー。」と怨念を込めながら、6秒くらい目を合わせてから始まる。

店はなかなかに繁盛していて、電話が鳴り続けていた。

店長の須藤さんは常にイライラしていたし、

増田さんは口を開けば怒るし、ちょっとミスした運送屋は速攻で襟首つかんで壁に押し付けてたりするので、

店中は常にピリピリしていた。

その他には、北条くんって僕と同じ歳くらいのバイトと、同じく高橋くんってゲイみたいな奴と、

パートの佐藤のおばちゃんと、経理の中柴さんって女の子がいたが、

みんな須藤、増田の顔色を伺うのが一番の仕事のようだった。


須藤さんは、役職は上であったが、増田さんにはだいぶ気を使っていた。

増田さんは、営業担当で外回りによく出ていく。多分外で、昼寝してんだろーけど、

増田さんがいない時、須藤さんが

「まぁ、しょうがねんだよ、あの人、俺の1こ年上だからさ、」

と言った。

僕は、ダメだこりゃ、辞めようと思ったのである。





そいで、いつ辞めてやろうか、タイミングを計っていたら、

天然オカマ口調の高橋くんが、増田さんに、

「このバカ、てめー、帰れ!2度と来るんじゃねぇ!」

と言われてクビになった。

そいで、僕に「おい、林、お前出勤増やせ。」

と言うので、「嫌です。しかも僕、怒れれるのすげー嫌いですからね、そろそろ限界ですよ。」

と返すと、それから僕は殆ど怒られなくなった。

しかたないので、相変わらず週4で働いてやる事にした訳だ。





業務用の映像機材屋と言うと聞こえはいいが、

客の半分くらいはエロビデオ屋で、クズみてーなのだったし、

映像業界の殆どは、芸能界に憧れるミーハーか、映像オタクかなのは確かだ。

増田さんはよく、「映像なんてチマチマしたもんが好きなやつなんて気持ち悪りぃよな?大嫌いだわ。」

と僕に言った。僕は面接で映像愛をアピールしてたから、

この人は、興味のない事は聞こえないタイプの人なんだと分かったので、

そーですよねー、気持ち悪いですねー。と答えてお茶を濁した。

増田さんは客を万引き野郎としか見ていなかったし、

5分以上いると舌打ちしまくって追い返した。

最高に感じの悪い店だったはずだ。





増田さんと楽しく話す様になったのは、増田さんが若かれし頃、

バイクでレースをやっていたって話を聞いてからだった。

10代の終わりころから、20代の前半あたりまで、ヤマハのTZ250で、

筑波のあそこのコーナーはギリギリ全開で回れるんだぞ!とか、

もー、コーナーの途中は外側にぶっ飛びそーで、めちゃくちゃ怖いんだとか、

当時、ツナギメーカーのセクレテールからレーシングツナギを貰って、テストに協力してたんだとか、

またバイクに乗りたいなとか、今度、レンタルバイクしてツーリング行くか?とか、





時々、飲みにも連れて行ってもらった。

突然、トルコ料理屋で微妙なベリーダンスを見せられたり、

移動の途中の電車で、入り口を塞いで立ってた女を突飛ばしたり、

何故だか新宿5丁目のニューハーフバーに行って、

シベリアに抑留されてたって70代のオカマと千円札をばら撒きながら話したり、

大衆居酒屋の店員の態度にイラついて襟首掴んで壁に押し付けたり、

嫁の話や、息子の話、娘はブスで今高校生なんだけど、貰い手がいなそうだから、林どうだ?とか、





増田さんは多分、敏感肌で、時々、口の周りをブツブツにして出勤してきた。

そんな日は大体、電話が比較的鳴らない土曜日で、ご機嫌であった。

僕は、ははぁ~んと思った。

僕が更に昔に働いていた、地元近くの東芝の工場で一緒に働いていた、

パンチパーマの加藤さんもそうで、加藤さんは、

「俺さ、肌が弱くて、女のマンコ舐めると、次の日必ず口の周りがブツブツになるんだ。」

と言っていた。どうやら、女の下から分泌される体液は乾くと酸性に変化するモンらしー。


ほいで、増田さんはブツブツにクリームを塗ったりしながら、

「昨日はよー、俺、アイスとか甘ぇーの嫌いなのによ、嫁が「あーん♪」とか言ってアイス食わしてきてよー、」

とラブラブトークをかましてくるのである。

僕は、「へー、結婚長くてそんな感じなんてイイですねー!」なんて言いながら、

実際にあり得ない話ではないので、素直に羨ましく思ったり、感心したりした。





話は戻って、

1970年代から80年代の日本では校内暴力ってムーブメントがあったそうな。

良く知られている具体的な話は、学校の校舎の窓ガラスを全部割ったり、

廊下をバイクが走ったりして、学級崩壊してしまう現象で、

それがメディアに増幅されて、全国に広がったと言う、

発展途上世代の、様々なシステムが未完全ゆえの面白い現象で、

本当に当時は、殆どの中学校、高校がやさぐれていたそうだ。


そんな時代の全盛期に増田さんは埼玉県で育ったそうだ。

当時の話は過激で、みんな新聞に載る事を目標に悪さをしてたって話や、

中学校の女教師は殆どレイプされたらしいし、

全校集会中に校長先生をナイフで刺してガッツポーズで警察に連れて行かれた友達もいたらしい。






その頃は悪い子供達が高校を卒業する年頃になると、

ひとしきり集められて自衛隊か警察官かどっちか選べって勧誘に来る話は

他の地方出身の先輩にも聞いた事がある。

だもんで、警察官も極悪な人種が多くて、汚職は当たり前だし、

バイクで暴走遊びしてると、警官が笑いながら車をぶつけてきて飛ばされたそうだ。

怖いわ。

今の時世では想像できないほどマッドマックスですね。





増田さんは、中学を卒業してすぐにヤクザになったそうだ。

暴走族してからヤクザになるより、中卒でなった方がすぐに幹部になれるからよ。

俺らはよく、夜中に道路で検問張って暴走族いじめて遊んでたんだぜ。

とドヤ顔で語っていた。

ほいでヤクザになって、事務所で電話番したり、ごみ収集所を任されて、

時々、死体を焼いたりしていたそうだ。





しかし、ヤクザの人達の多くは暴力しか取り柄の無い人なのだが、

Vシネマ映画のようにしょっちゅう抗争がある事もないし、見栄を張る為には金を生み出さねばならない。

シノギが上手だったり、カリスマ性があったりしない限り、なかなか幹部にはなれないのである。

凡庸なヤクザであった増田さんは、平成4年からの暴対法の煽りでどんどん生活が苦しくなり、

足を洗う事にしたそうだ。

それから不動産屋になって、そこに家を買いに来た武田さんと言う人に誘われて今の職に転職したそうな。

武田さんも、横山やすしみたいな雰囲気の人で、堅気の人間には見えなかった。





その業務用の機材屋は日立ハイテクソリューションズって会社の武田さんが映像作りの趣味があって、

放送用ではなく、業務用の店がまだ少なかったので実益を確信して作った、異例な店であった。


初めは順調で、その店が始めた定価破壊と価格競争でそれなりの大きな利益が出たそうだ。

しかし、ネット時代の到来で、仕入れの2%程の利益しか取れなくなり、

僕が働いてから2年もしない内に赤字が続くようになり、閉店した。

常連のお客さんが、2chの掲示板に「祝。閉店・・・」ってスレッドが立ってたよ。

と教えてくれた。






事実上、店は閉店したのだが、大きい会社には色々な事情があるらしくて、

すぐには無くす事が出来ないと、よくわからない説明をされ、1年間ほどの間に少しずつ売り上げを下げて、

部署を閉鎖する運びになった。

店舗は家賃100万の新宿から、芝公園の本社の肩身の超狭い片隅に引っ越して、

その時点で須藤さんは別の部署に移動し、

半年後に増田さんがまた別の営業部に行き、

最後の責任は何故だか僕が負わされる事になった。

完全閉店後、お情けなのか、契約社員として誘ってもらえたが、

僕は毎日髭を剃って、スーツを着続ける自信がなかったので断った。





それから2年ほど経って、武田さんから連絡があって、増田さんが死んだと聞いた。

あの後1年くらいで、増田さんは会社に居場所を見つけられなくなったみたいで、

辞めてしまったそうだった。

それから、40過ぎた暴力顔のゴリラにいい仕事が見つかる訳もなかったんだろう。





「え?自殺ですか?・・じゃあ、家族は大変ですね?可哀そうに、」

と、僕が言うと、武田さんは、

「何言ってんだお前?増田は独身だぞ。部屋で一人で死んでたんだ。親族からも絶縁されてたみたいだしな。」


・・・


増田さん、あの世でも、こーまん舐めると口の周りはブツブツになりますか?


ともあれ僕は、生まれて初めて人の死に心から冥福を祈ったんだな。



tomohiko hayashi

2016/06/30

Do U like Pops?





Mr. UE

この後ろ「東京」がめちゃくちゃかっこよかった。









POPLIFE - Prince and The Revolution








the parlour tattoo at 渋谷










僕が住んでるマンションの1階で、ある日ドンチャン騒いでパーティーをしていた。

さして気にならなかったし、どーせ、学生かなんかだろうと思っていたら、

103号室に引っ越して来たのはヒスパニック系の青年だった。







青年の友達と思われる、黒人やらジャマイカ人みたいな奴らが姿を見せるようになった。

青年には友達が多いようで、出入りする人数は日に日に増えた。

当然、部屋が狭いから毎日、人が外に溢れるようになった。

そいで、そいつらは昼間はみんなでかっこつけて写真を撮ったり、

夜中の12時頃に突然スケボーで遊びだしたり、

ほいで毎週末はパーティーをするもんだから、

もー、そこだけブルックリンだか、コンプトンみたいなもんである。







ぼくは、いいなー、楽しそーだなー、僕がもう少し若かったら友達になりたかったなー、

なんて思っていたら、二か月もしない間にマンションを追い出されてしまったようだ。

なんやかんや言って、渋谷もまだ保守的な街なのだ。







それから暫く経った頃の事だ。

僕にはすっかり、家に帰る時には空室になった103号室に哀愁の目をやる癖がついていて、

その日も仕事帰りに、ふとそちらを見た訳だ。


103号室は外側に面しているが少し陰に位置する角部屋で、

玄関の前に体が半分くらい隠れるレンガの壁のあるバルコニースペースがある。

僕が階段をのぼりながら、103号室のある右側に目を向けると、

なんとそこに、下半身丸出しの女が立っていた。

女の後ろには男がいて、

「こんなところじゃ、だめ、ちゅぱちゅぱ、」

とか言っているのだ。






わぉ。





yes, KKK

僕は内心、動揺したのだが、何故だかそう言う時、

そんなの日常ちゃめしごとだぜ。って態度をとってしまうとこがあって、

ニヤニヤしながら眺めていたら、男と目が合った。

男はニヤニヤしながら 「すいません。」 と言い、

僕は 「エロいね。」 と言った。







僕の部屋2階上の303号室で、部屋に着くと窓を開けた。

コンプトン君たちがいなくなってから、すっかり閑静さを取り戻した裏渋谷に、

ぺちゃぺちゃ、あんあんと、女の声が響いていた。

僕はタバコを吸いながら、ラブホテルが満室だったのかな?とか思っていた。







その日は木曜日の夜だった。

満室な訳がねー。

渋谷で最もラブホテルの密集する円山町で青姦するなんて、確信犯だ。

羨ましじゃねーか、しかし、なんだ?ここいらの住人は、

コンプトン君達は追い出した癖に、青姦はいいのか?







なんだかムカついてきたし、警察でも呼んでみたらもう一つ面白そうだなと思ったりして、

電話を手に取ったが、やめた。

あんあんは、10分ほどで終わった。

僕は性に対しては割と保守的で、今まで青姦に興味を持った事もないし、ヤリたいと思った事もない。

それから30分後には何事も無かったように僕は寝た。







しかし次の日から僕は一週間ほど、

「昨日、うちの下で青姦してる奴がいたよ!」

「青姦した事ある?」

「君はそろそろ青姦でもしたほうがいいんじゃないか?」

ってな具合で、職場で青姦の話をし続けて、

とうとう 「うるせー、いいから落ち着け!」 と怒られた。



tomohiko hayashi
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