mag

mag

2014/06/21

Stand by Me



子供の頃、説教する大人が大嫌いだった。

何故なら決まって彼らは つまらない顔をしていたからね。

自分が大人と呼ばれる年齢になった頃から、

自分を正当化する為に、人に偉そうな事を言うようになった。

いったい今、僕はどんな顔をしているのだろうか?





「もし、ブログに書くことが無くなったら、俺たちの事を書けよ。」

リバー・フェニックスに似てたかもしれない友達が夢の中でそう言った。

人間の体は70%が水であるらしー。水は停滞するとすぐに澱む。

例え人生が、ドブの中を歩く様でも、前か後ろに進まなければならないんだ。








Pantera - 5 Minutes Alone








あれは僕が、22歳の頃の事。工場でエレベーターを造っていた僕は、

工場にいる気さくな おっさん達に自分の10、20年後を重ねて想像し、

言い様の無い倦怠と恐怖を感じて、ブルブルと震えていた。

その想いは日毎に膨らみ、遂にお盆休みを切っ掛けに、僕は現実から逃げる事にした。

夏が嫌いで、海も嫌いだったから、普通なら目指すのは北海道のはずなんだけど、

それはあまりにも軟弱だなと思い直して、沖縄を目指すことにした。

通勤で使っていたアドレスV100に、必要以上に荷物を詰め込んで、





昼は暑いから、夕方から朝まで走った。箱根のあたりで既にケツが痛くなったな。

元々、貧乏性だったから、寝るのは全部、野宿した。

段々と慣れてきて、眠くなったら、繁華街でも、真昼の道端でも、バイパスの中央分離帯でも、

ホームレスくらい余裕で寝れるようになった。

鹿児島まで5日かかった。





鹿児島で1日待って、沖縄行きのフェリーに乗った。

フェリーに乗ると、同じ様に小汚い格好の若者が沢山ウロウロしてた。

1人で旅してる人は大抵、会話に飢えていて、1言話しかけると、倍の言葉が返ってきた。





手前が僕で、左側が伊藤君、僕の奥にいるのが渡辺君。

伊藤君は世田谷から親父のフリーウェイで、渡辺君は杉並区からチャリで来てた。

自分に出来るか?とか、やりたいか?とか、楽しいのか?とか、ドMなだけだろ?とかは、置いておいて、

チャリの奴等はやっぱり凄い。


「もーね、峠一つ越える度に感動するよ。」と渡辺は言ってた。

なんたって、鹿児島まで寄り道しながら1ヶ月くらいかかってるし、

ある時、何日も洗ってないTシャツに小虫がとまって、そして間も無く死んだらしー。

それでまた感動して、泣きながらチャリを漕いで、

時々、無の境地に達する瞬間があるんだって言ってた。

ちなみに、こん時着てるのが虫が死ぬほど臭いTシャツだよ。これが、





沖縄について、ソバを食って 「じゃあ、」 と言ってみんなと別れた。

僕は、沖縄に来ること以外に目的がなかったし、観光地にも興味がなかったから、

南部のオーシャンビューで最高に眺めのいいバス停で2日間、ゴロゴロしてた。





バス停で3日目の朝に、伊藤君から電話があって、また渡辺君と3人で集まり、

この貧乏臭い軽自動車を借りて、沖縄を一周した。

途中、道行く人に道を尋ねたら、

「おぉ、タメ吉さん!?久しぶりやっさー!」

と人違いされた。オールドスクールか、ばかやろ。




伊藤君は地元が世田谷の用賀で、高校生の頃は三田佳子の家で佳子の息子達と一緒にシャブ食ってた。

伊藤君はニュータイプの不良だったな。

それまで僕のイメージでは、 不良=バイオレンス だったんだけど、

伊藤君には、そう言う要素がまったくない。

それなのに、 「東京帰ったら、デリヘルの仕事やる事になってるっす。」 とかサラッと言った。

伊藤君はデリヘルで10年働いて幹部になってた。

10年でショボかったデリヘルは芸能人の客も来る程の高級店になり、

伊藤君の月給が120万を超える頃、国税局と、警察が順番にやって来て、牢屋に入った。

驚くべきは、店が無くなった時点で、貯金が30万円くらいしかなかったってトコだ。なんと男らしい金使い。

そのガサは大規模だったんで、フライデーにも載ってたな。





伊藤君とは今でも時々、会う。

東京で、ある時、伊藤君のBMWのエンブレムつけたトヨタの4駆で飯を食いに行った事があった。

帰りに、路駐してた車の中でタバコを吸ってたら、警察に職質された。

そしたら車内から刃渡り5cmくらいのおもちゃのバタフライナイフが出てきて、

ポリが 「なんじゃこりゃー!!?」 と嬉しそうに叫んで、すぐにパトカーが6台くらい集結して、

伊藤君だけパクられた。しかも2、3日も。

「一緒の房に、無口なデカい黒人が居てさ、夜にオカマ掘られるんじゃねーかって、怖くて怖くて、」

恥ずかしそーに、出てきた伊藤君が言ってたな。





沖縄の海は外れに行くと人が少ないから、





ちょっと海が好きとか思ったな。





そいで、お盆休みが終わっちまったんで、ランパブに連れてってくれた近藤部長に電話した。

「と言う事で、色々な意味で帰れません。すんません!」

「・・そーか、わはは、じゃ、しょーがねーなー!・・・まぁ、色々と頑張れや!」

なんてかっこいい大人なんだ?と思ったな。近藤さん、色々と本当にありがとうございました。



那覇ミュージック



僕らは沖縄を一周して那覇に戻って来た。

そいでフラフラしてたら、シュールなストリップ小屋が目に入った。

これは、受付のババァが 「あいよ」 とか言って、割烹着を、ふぁさーっと脱いで、

踊るポンポコリンかますに違いねー。そー思って、冷やかしに行った。

すると入り口に立ってた奴が僕のバイクのナンバーを見て、そいつが「俺は東京の三鷹出身だ」って盛り上がり、

「住むとこ見つかるまでは家に泊まってきなよ。従業員も募集中だよ。」

ってんで、すんなりと宿と仕事を手に入れたんだな。


Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...