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2014/06/22

Scenery of the Family





これを見ると僕は、離散してしまった家族の写真を見るような、哀愁を感じてしまうんだ。

僕の実の家族は離散した事ないけどね。

左から、同居していたジョージさん、リッパ、僕、少しの間お世話になった月光荘のP君。

結局、僕は沖縄で2年弱を過ごした。竜宮城のようで居心地がよかったんだと思う。








山嵐 - 山嵐







那覇は松山のクガニヤって居酒屋では色んな面白い人と出合った。

山嵐のベースの武史さんとは、偶々隣あわせたんで騒いだら、同席さしてくれた。






山嵐のボーカルのサトシさん。






写真の一番下にいるのは、那覇で1番硬派なクラブ、火の玉ホールのミツさん。

右腕のスリーブタトゥーは、はだしのゲンのキャラが散りばめられてて、かっこよかった。

あのミツさんの、ヲタトゥーのセンスが僕に与えた影響はでかくて、マイヒーローだったな。




bar 乱波洞


乱波洞のマスターはファンキーで、ちょくちょくヤマハのパッソルの前に子供を乗っけて国際通りをノーヘルで走ってた。

この日は調子が良くて、得意の倍音を聞かせてくれた。倍音ってのは、坊主がお経を読む時みたいな声のこと。

割り物とか、カクテルを頼むと、時々、混ぜる棒が見つからない時があって、そんな時は、指で回して出てきた。

最高に面白かった。






写真の真ん中のリッパは、オオシロ カズノリって名前だったが、何故だか小学校の頃からリッパってあだ名で呼ばれてた。

リッパは地元、首里出身の奴だったが、片親のおかんが再婚して家に居にくくなって、車で生活してた。

当然、沖縄の夏は長いから、毎日、車のエアコンをつけてたら、ある日、エアコンのファンが音を立ててヒシャげた。

そいで、すげー悲壮感を発しながら、素泊まり宿にやってきたトコで、僕と会った。

沖縄では、若い人はそうでもないが、年配の人間は、本州の人間に良いイメージを持ってない人が多い。

薄い顔のリッパ、「ヤー、ナイチャー(内地の人)か?何しに来たば?」 と、よくおっさんに絡まれてたな。

で、この頃、「これで、島んちゅ(沖縄島民)っぽく見えるかな?」って由布島キャップを被ってた。

絶対に逆効果だって分かってたと思うけど、そこがリッパの面白いトコだよね。


手前のユイちゃんは、時々、廃墟でヌードモデルとかやってた。

そいで僕らに、「あんたらはまだ子供だね、おっぱい の偉大さを分かってない。」 と説教された。

ユイちゃんと僕は同じ歳だったけどね。

確か、おっぱい には、金や政治や、世界を動かす力が秘められてるってな事を言ってた。

あの頃は、「はいはい、わかったわかった。」って思ってたけど、

たぶん、武田久美子が言った 「美人とブスでは、人生で得する金額に億の差がでる」 みたいな事かな?

バカとおっぱいは使い様なんだろーね。僕はお尻派だけどね。






ジョージさんは、→前にも書いた事←があるが、酒を飲むと二重人格になるから、みんなの嫌われ者だった。

僕は好きだったけどね。






ジョージさんは、当時もう32歳くらいだったけど、「うーん、働いてる場合じゃないな。」 とか言って、

しょっちゅう仕事を休んで遊んでた。僕とリッパは毎日働いてたのにな。

ある時、ジョージさんが知り合いの人らと離島にキャンプしに行って帰ってきた。

そいで、満足そうに、「海の中で、オナニーして、ウンコしてきた。気持ちよかったぞー。」と言って、

「林なら分かるだろ?ウンコすると、海水がケツに入ってヒリヒリするよな?」 なんてニコニコして続けやがった。

一緒に行った他の人に後から聞いたら、やっぱりジョージさんはキャンプで悪酔いしたらしく、

初対面の人に、危うくナタで殴り殺されそうだったと聞いた。さすがジョージ兄貴、素敵!


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