本気か冗談でかは分からないが、僕は時々10年後の自分の事情とかを想像して、ヤサグレたりする。
そしてその後、「文句ばっか言うて、何もせんと、こんな事じゃダメや!」と思い直す事にしている。
原子力少年と御茶ノ水
そんな日の昼下がりは仕方が無いので瞑想してみたりする。
それから、輪廻転生すると仮定して、茶羽根ゴキブリとかじゃなく、僕がまた人間に生まれ変わったとしたら・・・と、まるで女子のウィンドウ・ショッピングの様にウキウキとした気分で自分の来世を想像して、時々、空中浮遊もしてみたりする。
こんな情報社会なので、魅惑的な人生は多々あるが、あまり欲をかくのも貧乏臭いので3択に落ち着かせてみたのである。
1つは「ミュージシャン」である。理由も1つでモテそーだからである。実際、僕は楽器ができる女の子に会うと取り敢えず好きになる。
- ホーキング博士 -
- アインシュタイン博士 -
お次は超大雑把なんだけど、「学者」である。物理とか、化学とか、数学とかが特にかっこいい。あまり真面目に勉強しなかった僕にはまったく理解できない方法で、万物事を解釈しようとする様は、まさに神に弓引く行為の様でシビれるのである。
- 変なカバとスナフキン -
もう1つは画家である。中でも写真が身近になった時代に、売れないし、あまり多くの人に評価されなかったとしても、
「絵画しか描けないんだぜ!」
って感じの画家は、ひたすらかっこいいからである。僕の中で画家と言うのはスナフキンの様なイメージである。
では、楽器を背中に背負った画家になればいいんじゃない?と思われる方がおるかもしらんけど、そこは高倉健スピリッツを採用して却下なのである。
- Mr.大霊界と高倉健 -
エゴン・シーレと言う人の絵が好き。
エゴン・シーレ Egon Schiele(1890-1918)
Self Portrait A Grimace Scissoring「自画像」 - シーレ
エゴン・シーレさんは、有名なグスタフ・クリムトと同じ時代にオーストラリアで生きていた人で、成功して裕福だったクリムトには色々とお世話になったそーだ。
Tod Bund BLeben「死と生」 - クリムト
グスタフ・クリムト Gustav Klimt(1862-1918)
Pregnant Woman and Death「妊婦と死」 - シーレ(1911年)
Conversion「転換?」 - シーレ(1912年)
Holy family「聖家族」 - シーレ(1914)
Mother and Two Children「母と二児」 - シーレ(1917)
エゴン・シーレはようやく評価を受け始めた頃、流行風邪(没時28歳)で死んだそうだ。
僕は、まともに絵を描いた事が無いので、技法とかのウンチクは分からないけど、
絵画を見る時は、画家がこの絵画を描く間の数分か数日かに、何に興奮し、どんな葛藤をし、如何に現実や社会と向き合ったり、戦ったりしていたのかを想像して楽しむ。
アドルフ卍ヒトラー(1889-1945)
エゴン・シーレが芸術学校の名門ウィーン美術アカデミーの入学試験を受けた時、最も有名なドイツ人の1人であるアドルフ・ヒトラーも受験していたそうで、エゴン・シーレは合格し、ヒトラーは落っこちた。
この話題がでると、大抵、「もし、この時、ヒトラーがウィーン美術アカデミーに受かっていたならば、ナチス独裁政権は起こらず、ユダヤ人は虐殺されず、第二次世界大戦にも大きく影響したであろう。」となる。
death and maiden「死と処女」 - シーレ(1918)
Krumau Town Crescent - シーレ(1918)
では、もし、エゴン・シーレが美術アカデミーに受かっていなかったとしたらどーだったか?と考察してみると、きっと、大して変わらぬ人生であったろうと思えるのである。
何故なら、多くの芸術家は、芸術に興味が無い人達にとっては、只の一芸を持った変な凡人に過ぎないからね。
岡本太郎tarou okamoto(1911-1996)
例えその作品に好き嫌いがあったとしても、それでも僕は芸術家から溢れ出る情熱には無視出来ないエネルギーを感じるんだよね。
と、その様な次第でこれまで現実逃避し続けた結果が今現在の体たらくに繋がっている訳なんだね。
そして振り出しに戻るんだよ。