戦場のフォトグラファーで有名な一之瀬泰造も、新宿って街が好きだったらしくて、
新宿の写真をまとめた写真集があって、70年代の僕の知らない新宿を見れる!?
と、思ってドキドキしながら見たんだけど、それは僕の好きな新宿とは違ってた。
ほいでこの90~00年代に撮られたと思われる、
星玄人さんの撮った新宿や横浜の写真は限りなく僕の好きな街の景色だった。
唾奇, IO & YOUNG JUJU - Same As
一生売れないから、俺等、仲間。
あいつ今ドコ?
ヤーの耳元。
初めて夜の新宿に遊びに行ったのは高校生の頃だったと思う。
何しに、新宿のどこに行ったかは憶えていないが、
酒など飲んでいなかったのに、数時間、新宿を徘徊していたら、
あまりの空気の悪さとドブのような臭さに道端でゲロを吐いた。
友達は笑ってくれたけど、
物心ついてからの新宿の第一印象は最悪であった。
普通の若者だった僕は、僕の周りの人達と同じように、
渋谷はしゃれおつ。
新宿は企業ビルや都庁とヤクザとホームレスとゲイと外人。
池袋は埼玉県。
って思ってたので、
新宿には異様で理解不能な怖さがあったのだうね。
僕が20代の中頃、名前は忘れてしまったけど、
趣味が水泳って言ってた美人なんだけど、なんか暗いお姉さんが、
「新宿はね、私みたいな田舎者で、人生になんの目的も無いような人でも、ちゃんと受け入れてくれる街なんだよ。」
と斜めに傾けた顔と、艶やかな声で教えてくれた。
そんな話を聞いてしまったら、
とうとう僕も新宿が、
白と黒が混ざったグレーで、
大袈裟に言うと人間の生と死のとても深い間が少しだけ見える
ドープな街だって事を知って好きになったんだな。
実は僕は、この星 玄人(ほし はると)さんとすれ違った事がある。
リサイクル屋の外回りの仕事で恵比寿を通ったので、旧山手通りの
モンスーンカフェで食べ放題のサラダとスープとデザートを山ほど食って、
今にもゲロが出そうな状態で休憩がてら立ち読みしに行った蔦屋の特設コーナーに、
どっかの写真学校の卒業作品の写真集が並んでて、僕が手に取ったのが、星さんのヤツだった。
その写真は、名前ははるとって読むらしーが、玄人って書いてんだけど、
素人目にも良いカメラで撮った写真じゃない事がわかった。
だけど、写真は被写体に一歩踏み込んで向き合ってるだけじゃなくて、被写体に対する愛が感じられて、凄くよかった。
他の人の写真集にも似た様な写真はあったけど、違ってて、それは僕には断トツで素晴らしかった。
僕は星さんの写真集だけ、1ページ、1ページ、じっくりと捲って、立ち読みした。
他のはパラパラとめを通し、もう一度、星さんのを手に取って本の裏の値段を確認したが、
貧乏なので買わなかった。
そのコーナーの片隅に、髪の毛を後ろで縛った男が恐縮そうに立っていた。
恐縮な男は、ただ立ち読みしてただけの僕に、ポストカードのチラシを差し出した。
僕はその学校の誰かなんだろうと思ったが、その彼の顔も見ず、軽く頭を下げて紙を受け取り、
仕事に戻った。家に帰ってから見た、ポストカードの個展の案内で、あの彼が星玄人さんだったって事に気が付いて、
どんな人が撮ったのか興味が沸いて、
プロフィールを見たら年も近かったので友達になれるかもしれないと思ったので、
話をするチャンスを逃した事に後悔した。
フェイスブックのページを見たが、今はどこで何をやっているのか分からないし、
もしかしたら、一念発起して、カメラを持ってどこかの紛争地帯に行き、死んでしまってるかもしれないし、
はたまた、こんな写真に大した需要があるとは思えないので、プロのカメラマンを諦めて、
登録した派遣会社で紹介された、山奥のブラック会社で、今の僕と同じように馬車馬のように働かされていて、
なにもかも、それどころじゃないかもしれないから、
たぶん、もう彼に会う事はないのであろう。
とても残念だ。