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2013/11/25

Lingerie or Big Money
















De La Soul - Millie Pulled A Pistol On Santa

ビルボードライブ東京であったデ ラ ソウルのライブに、スーパー行きたかった。

















ノーパン 喫茶、

ノーパン しゃぶしゃぶ、

ノーパン 美容室、


人間の営みは、けなげです。


私達という現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明で、


風景やみんなと一緒に

せはしく せはしく 明滅しながら

いかにも たしかに ともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明なのです


おぉ、ノーパン 宮沢賢治
























浅草 サンダーゲート











2013/11/23

Spring & Bloodbath





シュイーン at 高円寺







キミドリ - 自己嫌悪









富士川食堂



























「髪の毛はね、生えた時点で死んでいるんだよ。」

ある日、ノーパンの美容師がこんな事を言った。

ノーパンはその後、毛球とか、毛母とか、毛乳頭とか、

聞いた事も無い、怪しい単語を並べた。


毛とは、毛の球根の老廃物の塊りだって事らしー。

それが事実ならば、「存在」 とゆーものの概念を根本から覆す脅威的な現象である。

生きてるだけで丸儲け、だと思っていた私達の生活が、実は、

既に死んでいる母から生まれた時点で、死んでいたよーなモンである。


それなのに人々は、「キューティクルがー」 とか言っちゃって、

ウンコ色に染めてみたり、くるくるパーマにしてみたり、

競い合って、ワックスや、ジェルや、スプレーや、ポマードでキメて、

墓穴から這い出した死体を、我が子の様に大事に大事に育てるんです。


ついでにノーパンは、モゴモゴ言う僕に、中二病って言葉の意味も教えてくれた。












2013/11/20

Aural Food












キエるマキュウ - Meteor









巷では時々、不思議な事が起こる。

だって、大阪で 「放る(捨てる)モノ」 だった肉の脂身の塊りが、

今じゃ立派に市民権を得てるんだからよー。



育ちが良いのか、悪いのか、海老の尻尾を食べたり、パンの耳を残したりする奴等がいる。

僕は、パンの真ん中より、歯ごたえがある耳の方が好き。

貧乏で!って理由が無くても、耳だけ買って食べてた事もある。

耳ピザ、耳グラタン、耳カルパッチョ、耳ガー、フライド耳、耳ストローネ、耳タコライス、耳ミルフィーユ

パンの耳料理 専門店があってもいい位だと思うんだよね。本当に、

そして、耳価高騰。

店名は 「そら耳アワー」 ね。














2013/11/17

Agitate Pure Heart













Hootie And The Blowfish - Old Man & Me




あの工場の中も、まー、むさ苦しい男社会で、

当然のように 「飲む!打つ!買う!」 こそがステータスの基準であった。


その頃、僕は21歳。

近藤部長(49歳)と仲良しだった、アオちゃん(51歳)は、

江頭2:50の髪をフサフサにした感じのおっさんで、酷い東北なまりな言葉で僕に言い放った。

「なんだー、林は、おめー、酒飲まねー、ギャンブルしねー、

女いねーで、生きてて何が楽しーんだ!?まだまだ子供だなー、あぁーん?」



多分、おじさん達の目には僕が、とても可哀想に映っていたよーで、

このセリフは、本当にいろんなトコで、いろんな人に言われたなー。




するとある日、風呂場でスベって、蛇口に頭をぶつけて、額にデカい絆創膏を張ったアオちゃんが、

「林よー、お前、今度の土曜日、ランパブ連れてってやろーか!?あぁーん?」

と言いやがった。 ら、ん、ぱ、ぶ、未体験の響きに僕は涙を流しながら力強く頷いた。


それから僕は、金曜日まで小躍りしながら働いて、

土曜日はもー、上の空でソワソワ、キョロキョロして仕事は手に付かず、時が経つのを待った。



あの日も確か11月で、おじさん達はみんな

いつもより小綺麗なコートを着てて、ニヤニヤして歩いた。

ランパブは、貧乏臭いビルの中の、小汚い店の、

ソファに穴の開いた、ランジェリーパブだった。

僕は、乱交パブだと思っていたので、少しがっかりだった。

しかも、そこは、突然ユーロビートが流れて、女達がアホみたいに踊るサービスも無い、

ただただ、下着姿の女と、お話するだけの つまらないトコであった。

僕は若かったので、水着と変わんねーじゃねーかと、

すっかりボッタクられた気分であった。

(今はすっかりおじさんだから、水着が下着に見えるよね。)



近藤部長は、温泉に浸かってるよーなホクホクした顔で、

「えぇ、君は家、厚木なんだ?・・う、薄着なのにねぇー、」

なんて具合で、女と話してた。


アオちゃんは、僕に向いて言った。

「どーだ?林よー、天国だろー!?あぁーん?」

そして、「レイカ」ってお気に入りの女を時々 「レイコッ」 と呼び違いながら、

たまに太ももをサワサワと触っては、「こら、ダメよー、」 と怒られて、嬉しそうに謝っていた。

アオちゃんも、近藤部長も、加藤さんも、もう1人も、独身であった。

レイカは僕と同じ歳くらいに見えた。



僕は、その光景に、30年後の自分の姿を見てしまった様な恐怖を感じて、

恐ろしくて、恐ろしくて、恐ろしくて、悲しくて、恐ろしくて、

遂には飲めない酒をグビグビ飲んで、あの工場の仕事を辞める事にしたんだ。



ランパブの会計の時、近藤部長が、

「おい、みんなで林の分を出してやろうよ。」と言ったら、

アオちゃんだけが、「嫌だよ、勿体ねー、絶対に嫌だ!」

と言って財布をコートに隠した。






Natural Steel Works



滋賀のbsa



ヨシムラさん



静岡のbsa











ZODIAC MC








TRIDE MCs























good night♪




2013/11/13

Modern Times





オイルタンク!



オイルタンク!



オイルタンク!



オイルタンク!








PUSSY RIOT - Putin Lights Up The Fires






赤羽







二十代も前半の頃、僕は家の近所の東芝の工場でエレベーターを造ってた。

東芝と聞くと、一流企業だけど、工場で働いている人達は下請け会社や、

その更に下請けだったり、下請け会社に来た派遣会社だったりして、

当然、僕も訳の分からない会社に所属し、低賃金で働いていた。



工場の日々は、時々、アホな奴が倉庫で塗装用のシンナーを吸っていたり、

おじさん同士が取っ組み合って闘っていたりする事があったくらいで、

刺激の無い時間が流れまくっていた。



僕は、一番の仲良しだった近藤部長(49歳)と、時々、仕事をサボって、

東芝のデカい工場の中を散歩したりした。



4棟くらい離れた物流部に、東芝のソクラテスと呼ばれる、アベちゃんって人がいた。

アベちゃんは、いい大学の哲学科を出た哲学者だったが、

いつ遊びに行っても、難しい顔で競馬の予想をしていた。

ある時、アベちゃんに、より良い人生を送るには、どーしたらいいか?と聞いたら、

「欲張らず、ズルせず、努力することだねー。」 と言って、また競馬新聞で顔を隠した。



物流部には日系ブラジル人が沢山いた。

僕は、ジョージと、ヒーちゃんと仲良しだった。

僕はジョージに言った。

「オレ、コーヒー嫌いだけど、ブラジル行ってみたいな。」

するとジョージは 「うーん、」 って顔で、

「オレ、ブラジルでゴミ収集の仕事してたけど、仕事中に3回も強盗にあったよ。ブラジル最悪だよ。」

と言って、「でも女は最高。」 と付け加えてニッカニカ笑った。

それから少しして、バタバタと音がして、二人で空を見上げ、ヘリコプターを暫く目で追った。

「いったい、ドコに行くんだろーな。」 と、ジョージが言い、

僕は両手を広げて、体ごとグルグルと回転しながら、「ヘリコプター!」 と言った。




30分経過



triumph



SLAP STICK TATTOO



カワサキ



H2



金ちゃんヌードル







JAGUAR タイプE



















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